戦国勢力図! 1534年∼1582年
はじめに
こんにちは!皆さんは戦国時代は好きですか?
戦国時代は、1467年の応仁の乱から1615年の大坂夏の陣までの
約150年間を指すといわれています。
そして日本各地では、戦国大名が互いに
対立し勢力を伸ばしていきました。
みなさんが思い浮かべる戦国武将は誰でしょうか?
天下統一を目指していった織田信長や豊臣秀吉、徳川家康を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。
彼らは、誰もが天下をねらい
戦いを繰り広げるなか数々の大名たちを倒して頭角を現あらわしていきます
今回は織田信長が生まれた頃の勢力から本能寺の変までの勢力をまとめてみました!!
ぜひ参考にしてみてください!
目次
1534年 ( 天文3年 ) 織田信長誕生
1534年は織田信長の生まれた年であります。しかし、織田家は尾張(愛知県)の一部に
領地をもつ小さな大名にすぎませんでした。
全国では、東北に伊達家、北関東に佐竹家、北陸に長尾家、東海に今川家、
近畿と四国の一部に六角家、山陰に尼子家、山陽に大内家、九州に大友家、島津家
が領土を広げていました。
1555(天文24年) 厳島の戦い
厳島の戦いは、毛利元就と陶晴賢による今の広島県で行われた戦いです。
元就は、4千の兵で晴賢の2万の兵を狭い厳島におびき出し総攻撃をかけて勝利しました。
晴賢は自害し、元就は大内家を攻め領地を拡大しました。
全国では、北条氏康、武田信玄、今川義元が甲相駿三国同盟を結び、
近畿では三好長慶が実権を握りました。
1570年(元亀元年) 姉川の戦い
姉川の戦いは、織田.徳川連合軍と浅井.朝倉連合軍による
今の滋賀県で行われた戦いです。
当時、浅井家は織田家と「朝倉家を勝手に攻めない」という約束とともに同盟を結んでいました。しかし、織田信長が約束を破って朝倉義景を攻めたため浅井長政は朝倉家との関係を重んじ織田家との同盟を破棄して信長を背後から攻めました。
信長はいったん岐阜に戻り長政を討つために徳川家康とともに2万5000のの兵で
長政、義景軍1万5000の兵と戦いました。戦いは激戦になりましたが兵力差があり長政、義景軍が小谷城へ撤退したため信長、家康の勝利に終わりました。
1582年(天正10年) 本能寺の変直前
織田信長は、北陸や近畿四国の一部を領地に加えました長篠・設楽原の戦いで武田勝頼に大勝し勢いにのって勢い乗って武田家を滅ぼしました。
そして、毛利家との戦いに苦戦する豊臣秀吉を助けるため安土城を出発し途中本能寺に立ち寄りました。
いかがでしたか?今回は、織田信長が生きた時代の日本の勢力をまとめてみました。
最初は、弱大名だった織田家がたくさんの戦に勝利して天下に名をとどろかせていったのがとてもかっこいいなと思いました。
最後まで見ていただきありがとうございました。